しかしゲームにおいては重要なポジションであり、草創期の横浜FCにおいては、間違いなく成太はそこにいなければならない選手であった。
順風満帆なサッカー選手としての出だしではなかった。
国見高校で選手権、インターハイなどにレギュラーとして出場するもプロにはなれず、ブレイズ熊本で少年達にサッカーを教えながらの日々であったが、テレビ東京系「ASAYAN」のJリーガーオーディションでラモス氏に認められ、1997年にヴェルディ川崎(当時)に入団する。

ASAYANオーディション時、後列左から二番目が高木、四番目がラモス氏
1999年横浜フリューゲルスが消滅したため、横浜市民が創った横浜FCよりオファーを受けJFLに参戦する。
優勝しか許されない中、1999年、2000年を優勝で飾り、晴れてJ2に横浜FCを昇格させ、中核選手として活躍をする。

2002年J2での活躍を認められ、古巣である東京ヴェルディ1969(当時J1)に移籍し、シーズン途中でボランチのレギュラーポジションを獲得する。
その後横浜FC(当時J2)、FCホリコシ(現アルテ高崎、JFL)、FC岐阜(JFL、当時東海社会人リーグ)を経て、M.I.E.ランポーレの東海社会人リーグ昇格のため招かれ、昇格を果たしプロ選手を引退する。
1977年長崎県生まれ
長崎県立国見高校出身
※東京ヴェルディ1969時代の写真について、NTV FCに確認中です


